読書の秋……
2002年9月29日 というわけで、昨日買ってきた本を読み始める。
しかも、三島だ。結構気を引き締めて読まなくてはならない。油断すると活字におぼれる危険性大。
だから、何でそんな物を読むかなぁ……
自戒しながらも読み始める。
文体がきれい。出てくる言葉も知識の豊富さを彷彿とさせる。
で、ふと思いつく。
嘆美小説の原点は三島にあるのか!?
三島が切腹した時期と、嘆美物の流行りだした時期って重なるんですよね。世界観が似ているというか、雰囲気が似ているというか……。
で、読み進める。
が、途中で昼寝にはいること数回。
さすがに活字の海におぼれかける。
おかげで「囲碁の時間」見はぐった……。
それはそうと、起きては読み続ける。
淡々とした文章。淡々と語られる言葉。三島の精神世界をかいま見た気分。自分に実直な、本当は自分にとても素直だったんだろうな……と思う。その苦悩。計り知れない葛藤。
だから、何でこんな時にそんな物を読むかな……。
でも、なんだか読まなきゃという気分がして止まらない。同時に思い出すのは大学時代の頃。
私の通っていた大学は四流のノンポリだったけど、歴史は非常に古くて、だから三島関係のイベントのポスターが通学路の電柱にべたべたと貼ってあった。
たぶん、大学時代というのは大人の世界をかいま見て、ナーバスになる時期なんじゃないかとさえ思った(亀の場合、浪人時代に完全に通り過ぎてしまった。何せ政経専攻だったため。予備校の政経の方が大学での授業よりも掘りが深かった)。だから思想に走ることもできるんじゃないかと……。
そんな若い時代は過去になってしまったんだな。
出来上がったのは、理想と現実のギャップにばかばかしさを感じる、新聞を読まない自分。経済がどう動こうと、政治がどう動こうと、ベルトコンベアに乗っているかのごとくに流されてゆく自分。パフォーマンスのばかばかしさに呆れている自分。
それは会社も、俗に言われる生活という物にも適用されているわけで……。
すっかり斜に構えてしまう自分がいる。
乗り込めない自分がいる。
とりあえず、明日からまた仕事だ……。
しかも、三島だ。結構気を引き締めて読まなくてはならない。油断すると活字におぼれる危険性大。
だから、何でそんな物を読むかなぁ……
自戒しながらも読み始める。
文体がきれい。出てくる言葉も知識の豊富さを彷彿とさせる。
で、ふと思いつく。
嘆美小説の原点は三島にあるのか!?
三島が切腹した時期と、嘆美物の流行りだした時期って重なるんですよね。世界観が似ているというか、雰囲気が似ているというか……。
で、読み進める。
が、途中で昼寝にはいること数回。
さすがに活字の海におぼれかける。
おかげで「囲碁の時間」見はぐった……。
それはそうと、起きては読み続ける。
淡々とした文章。淡々と語られる言葉。三島の精神世界をかいま見た気分。自分に実直な、本当は自分にとても素直だったんだろうな……と思う。その苦悩。計り知れない葛藤。
だから、何でこんな時にそんな物を読むかな……。
でも、なんだか読まなきゃという気分がして止まらない。同時に思い出すのは大学時代の頃。
私の通っていた大学は四流のノンポリだったけど、歴史は非常に古くて、だから三島関係のイベントのポスターが通学路の電柱にべたべたと貼ってあった。
たぶん、大学時代というのは大人の世界をかいま見て、ナーバスになる時期なんじゃないかとさえ思った(亀の場合、浪人時代に完全に通り過ぎてしまった。何せ政経専攻だったため。予備校の政経の方が大学での授業よりも掘りが深かった)。だから思想に走ることもできるんじゃないかと……。
そんな若い時代は過去になってしまったんだな。
出来上がったのは、理想と現実のギャップにばかばかしさを感じる、新聞を読まない自分。経済がどう動こうと、政治がどう動こうと、ベルトコンベアに乗っているかのごとくに流されてゆく自分。パフォーマンスのばかばかしさに呆れている自分。
それは会社も、俗に言われる生活という物にも適用されているわけで……。
すっかり斜に構えてしまう自分がいる。
乗り込めない自分がいる。
とりあえず、明日からまた仕事だ……。
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