明瞭性の原則……

2003年2月16日
 友人宅にお泊まり。
 でね、見事に目が覚めましたよ。お昼に。
 朝も何もナシ。
 ただ昼に目が覚めた。家にいるのと同じように。
 心なしか雨音がする。
 自分の部屋じゃ豪雨じゃない限り絶対に聞こえない小さな雨音。
 部屋は真っ暗。うん。亀の部屋じゃない。亀の部屋は雨戸がないため、カーテンが雨戸代わりになるのである。
 そういえば雨戸のある海外の家って見たことないなぁ……。雨戸って日本独特の文化?
 ともかくTVを付ける。ジェネジャンをやっている。生死について。
 友人がTVを回す。

 「あんたが見たら、死にそうだからだめ」

 別にそんな簡単に死なないって。
 ただ、「死にたいなぁ」と漠然と思っているだけで。ともかくTVを元に戻す。

 自殺をしようとしている人を止めるロールプレイングをやっていた。

 亀の感想としては、「けっ!」である。
 あまりにもばかばかしくなった。本当に死にたいときは、そんな言葉をかけられてもムダだと思うのよ。何が「一緒にいるから」だよ。じゃあ、その人がもし生き残ったら一生面倒見るのか? 出来ないだろ? ひねくれ度100%。

 というわけで、亀は死なないのです。こうゆう死に方はしたくないのです。死因を推測されるような死に方はしたくないのです。
 だから亀が死ぬときは、きっと病死なのです。鬱という病気に負けた病死。死にたいと思う気持ちを発生させる鬱という病気に負けた病死。ただ死んだということ。それだけで充分。
 そう。病気と闘っているのです。
 薬と仲良く手をつないで頑張っているのです。

 だからもうちょっとゆっくり生きたいなあと思うのです。
 そうゆう理解って難しいのかな、やっぱり……。

 で、本格的に起きて昼食を取る。ちなみにお粥。彼女の数少ないレパートリー(炊いてあるお米をゆでたお粥である)。おい。
 で、適当にTVを見る。スイスの旅行番組なんかもやっていて、良いなぁ、スイス。また行きたいよーん。でも、夏ね。どうしてもスイスは行きたいところがあるのだ。小さな村に行きたいのだ。でも、観光色ばっちりの。
 でも、世の中は反戦運動濃厚に。そんな何処に旅行に行きたいとか言っている場合じゃないのですな(北欧には行ったけど)。
 
 20世紀に学ばなかったのかな、アメリカは。と「映像の世紀」を思い出しながら思う。少なくともベトナム戦争の時に懲りたはずじゃなかったのか? 湾岸戦争で忘れちゃったのか?

 ……悲しいね。

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